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COCET通信        第13号 (06.10.5)
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目次

特集 授業以外の英語学習への意欲向上のための取り組み
(1)ささやかな提案 -非公式スピーチコンテスト-   
                 富山商船高等専門学校  長山 昌子
(2)茨城高専の国際交流センター活動の裏話
         茨城工業高等専門学校国際交流センター長 三好 章一
(3)国際交流あれこれ
                 宮城工業高等専門学校  武田 淳
追悼 平岡禎一先生
                 岐阜工業高等専門学校  亀山 太一
編集後記

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特集 授業以外の英語の学習意欲向上のための取り組み
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(1)ささやかな提案 -非公式スピーチコンテスト-

                   富山商船高等専門学校 長山 昌子

 第30回COCET研究大会において、鹿児島高専のS先生から、来年の九州地区大
会は第40回英語弁論大会を迎え、規約もないどんぶり勘定の運営が長続きの秘
訣であるとお聴きした。中国地区高専英語弁論大会では、14条からなる大会規
約が実施要綱のフレームを支え、当番校が順次受け継ぎやすいようにフォー
マットが整っている。その中国地区では、来年は第23回英語弁論大会を迎える
という。昨年開かれた第3回高専英語弁論全国大会調査・準備委員会の席上で、
九州地区と四国地区の長い歴史を始めて知った私は、脱帽した次第である。と
いうのは、平成16年に富山商船高等専門学校スピーチコンテストが10周年を迎
えたという事を私は密かに自負し、「他高専ではあり得ない」と思っていたか
らである。
 さて、今年の10月21日に、第1回北陸地区高専スピーチコンテストを第12回
校内スピーチコンテストに合わせて実施できる運びとなったのは、この12年間
に、福井高専、石川高専、富山高専の3校の学生さんにゲストスピーカーとし
て参加していただいた経緯があるからである。始めてゲスト参加が可能となっ
たのは、平成10年第4回校内スピーチコンテストだった。第4回スピーチコンテ
ストは、学園祭と同時並行して実施された。平成9年の英語科のミーティング
で、K先生より、学園祭の企画行事として華やかさを加えるために、ゲストス
ピーカーとして近隣の高専に参加を呼びかけてはどうかという提案が出された。
その時は、何故そこまでするのかという意見が出た。しかし切磋琢磨すること
が富山商船の学生の成長に繋がるという正論が通り、他高専へのゲスト参加要
請が決まった。その後、約3回に1回の割合で3高専のどちらかの学生さんに、
ゲスト参加をいただいてきた。このような下敷きが、第12回校内スピーチコン
テストと第1回北陸地区高専スピーチコンテストの同時開催を可能にしたと言
える。
 新しいイベントを創るのは確かにシンドイ。スピーチコンテストもそうであ
ろう。実施経験の無い高専においては、同僚から「これ以上仕事を増やさない
でくれ。」と言われそうだ。第28回COCET研究大会において、高専英語弁論全
国大会(あくまで仮称)調査・準備委員会で実施されたアンケート結果が発表
されているが、そこでは「教員の負担増」が地区大会立ち上げの第一の不安に
挙げられている。
 ささやかな提案だが、地区大会立ち上げが困難ならば、1クラス単位で簡単
な形式のコンテストを立ち上げ、実績を作ってしまえばどうだろうか?スピー
カーとジャッジがいれば、スピーチコンテストは成立する。スピーカーの指導
が「教員の負担増」になるのではないかと思われるが、面接しながら、学生の
言い分を聞き出すだけである。多少の時間はかかるが、英語の添削は、
native-speakerに任せることができるし、翻訳ソフトを使用することも可能で
ある。このような下敷き作りをしてしまえば、後は、同僚に役割分担をお願い
するだけである。徐々に、形式を整えて行けばよい。
 JABEEにも謳われているように、広い意味でのコミュニケーション能力育成
が求められている時代である。スピーチコンテストは、そういった時代の要請
に十分応えるものである。まずは、クラス規模でもいいから、ささやかな非公
式のスピーチコンテストを実施してみてはどうだろうか?
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(2)茨城高専の国際交流センター活動の裏話  

                茨城高専国際交流センター長 三好 章一

 本校の国際交流センターは、平成17年度に受けた大学評価・学位授与機構
による認証評価の結果、優れた点として下記2項目において高い評価を受けま
した。
- 基準2 教育組織 国際交流センターは、留学及び留学生支援のみならず、
 日本人学生と留学生の交流を通じて文化の相互理解の深化に役立てられるな
 ど、学生の教育面において有益なものとなっている。
- 基準7 学生支援等 国際交流センターにおける国際交流促進の取組が外国
 人留学生とのコミュニケーションを深め、学習・教育目標の一つである「豊
 かな教養に基づく国際理解力の養成」という点において、有効に機能している。

 そもそも元をただせば、私が、3年半前に本校に着任した経緯に始まります。
「国際的に通用する技術者の養成を目指す」との本校の重点施策を掲げ、異例
な形で英語科教員の公募を行った前鈴木校長の先見性に感謝しています。具体
的には、応募条件が、「企業などで海外駐在5年以上の経験を有する者」が唯
一の資格でした。私は、当時インドのニューデリーに駐在中で偶然にも会社の
HPで締め切り直前にこの公募を目にしました。とっさに「これは面白そう
だ」と直接学校の募集窓口をされていた現英語科主任の高橋先生に国際電話で
問い合わせたところ、大変好意的に受け止めて頂き2,000字の「着任後の
抱負」を書く意欲が出たのです。一気に抱負を書き、送ったところ1次パスし
たので2次の面接に来れるかとの連絡があり、躊躇することなく指定された日
にインドから駆けつけました。面接では、一人でしゃべり続け、中学時代から
受けた英語教育がまったく実践では役に立たないことを力説したのです。それ
がよかったのか、留守宅に戻ったら、なんと高橋先生から内定の電話を頂き、
その場で快諾し転職を決意し今日に至っています。
 高専の学生は、本校に限らず全国レベルで英語が嫌いで苦手です。私も英語
は劣等生でした。私は、おそらく学生の本当の気持ちが理解できる唯一の高専
の教員ではないでしょうか。自分の経験を少しでも学生に理解してもらい、一
人でも多くの学生に「英語は大切だからとにかく好きなることだ」と試行錯誤
を続けています。その大きな手助けになっているのが国際交流センター、倶楽
部での学生の活動です。
 冒頭に述べた評価を頂いたのも、実は、何も特別なことをしているわけでは
なく、ごく当たり前のことを地道に実施している結果です。身近な例では、本
校のHPにある国際交流センターの紹介では、企画から制作まで、パソコンの
得意な学生に任せ、本校の人気の中学生向けの「What's 茨城高専」PRカタ
ログは、スケッチが得意な留学生にアイディアから制作まで任せるなど学生本
位にしていることなどです。学生に任せその結果、留学生との対話も自然と増
え、茨城に居ながらコミュニケーションも図れるといった良い方向に働いてい
ます。
本校の教育理念である「自律と創造」について国際交流活動を通じて学生に真
の意味を理解させる努力を英語科の先生方の協力を得ながら今後も続けていき
たいと考えてます。
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 茨城高専国際交流センターについては、
 http://www.ibaraki-ct.ac.jp/intl/をご覧下さい。
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(3)国際交流あれこれ

                   宮城工業高等専門学校  武田 淳

 宮城高専は1991年に大韓民国・仁荷(インハ)工業専門大学と学生の相互派
遣を開始してから現在まで、4か国の教育機関と交流を続けてきました。ここ
ではQ&Aの形で、宮城高専の国際交流活動について簡単にご紹介いたします。

Q1: 活動を所轄するのは?
 平成18年度より、国際交流委員会の構成メンバーは委員長、副委員長、各学
科代表、事務部長の計10人と従来の約半数にスリム化しています。実際の活動
に際しては、これに「校長指名」を受けた先生方(今年は5名)に加わってい
ただいて委員会が機能していますが、メール会議を多用していることもあり、
活動はかなりスピードアップしました。

Q2:相手校はどうやって探す?
 宮城では現在、Felix Fechenbach Berufskolleg (FFB)校(ドイツ)、仁科
工業専門大学(大韓民国)、ヘルシンキ・ポリテク(フィンランド)と学術交
流を提携しています。また、経費の問題から学生の相互派遣は中断しています
が、メルボルン工科大学(オーストラリア)とも教育協力提携を結んでいます。
提携に至る過程は、専門学科の教員の人事交流が拡大したもの、相手校からの
要請を受けたもの、在日大使館を介して紹介していただいたものと様々ですが、
当然のことながら、双方の校長が提携書にサインするまでには、事前調査と意
見交換に最短でも1年間という充分な時間をかけました。

Q2:経費は?
 海外研修に際しては受益者負担を基本にしています。ホームステイが原則な
ので宿泊費はかかりませんが、移動の都合でホテル泊を余儀なくされる場合も
安価なユースホステル等を活用して対処しています。ドイツなどのユースホス
テルは食事も含めてホテル顔負けの環境で、学生達は大満足しています。学生
が負担する主な経費は往復の航空運賃と現地での交通費、観光に伴う入場料、
昼食代の一部ということになりますが、旅行代理店と折衝して格安チケットを
探した結果、平成17年度のドイツ(3週間)で学生から集めた金額は一人あた
り12万円、平成18年度の韓国(2週間)で8万円でした。それぞれ一人あたり
ほぼ同額が国際交流委員会活動の必要経費として後援会から拠出されています。

Q3:事前研修のプログラムは?
 活動を有意義なものにするために、そして単位として認定するためにも、丁
寧な事前指導が不可欠です。本校では平成15年度から概ね次のような内容で事
前指導を続けています。
(1) 募集告知と参加学生の決定:実施の6か月前。
 ドイツ、韓国とも基本的に4年生を対象としています。ここ数年は5月派遣
にほぼ固定されてきました。前年度11月下旬に募集を告知し、12月上旬の後期
中間試験が終了したところで募集、選考を行います。選考は「私がこの海外研
修に期待するもの」といったテーマの小論文と入学以来の成績と出欠状況、担
任・部活動顧問の意見、そして集団面接、個別面接の結果をもとに、国際交流
委員会が総合的に判断します。
(2) 事前研修:放課後、週に1、2回の研修を6か月間。
 1回90分の研修を30回、というのがここ数年で得られた経験則ですが、その
主な内容は
(a)「これで絶対大丈夫!一言英語会話300文」の理解と練習、
(b) 相手国の歴史・文化・生活習慣などの調査・学習、
(c) 相手国の基本会話(の初歩)、
(d) 海外旅行に関する全般的指導、といったところです。
 英語会話はこれまでの活動を通して得られた実用重視のオリジナル英文を英
語教員が、その他は社会科教員や訪問国の事情に精通した専門学科の教員が担
当しています。
 「海外研修だから全て英語担当者が!」と頑張ってしまう(頑張ることを余
儀なくされる?)英語の先生が多くいらっしゃるようですが、早晩息切れして
しまいますよ。宮城では文科の教員だけでなく専門学科にも海外事情に詳しい
教員が多く、事前指導の数コマを安心して任せることができています。「その
気のある」教員があれやこれやと手を貸してくれることで事前指導は活性化し、
そのことが同時に参加学生のモティベーションを強化してもくれます。
 また、以前海外研修を経験した「先輩」学生が自主的にまとめた資料を使い
ながら後輩にアドバイスを与える活動も次第にデフォルト化されてきており、
教員は大いに助けられています。将来的には、本校で学ぶアジアからの留学生
諸君も活動に参加してもらうことを考えています。

Q4:引率教員の人選は?
 教員全体に向けて国際交流委員長が引率希望者を募ります。
 まず、学生を海外に引率した経験、あるいはパック旅行ではなく自分で時刻
表を読みながら海外を移動した経験をもつ教員が団長として1名。他に、学生
の海外研修に興味をもつ教員が1、2名。引率教員は、前述の事前研修を担当
し、学生とともに自ら研修に参加することがmustになっています。すべて学科
を問わず声を掛けていますが、忘れてならないのが事務職員の方々の存在です。
幸いなことに宮城には、外語大で韓国語を専攻したり、学生時代にドイツを何
度か訪問してホームステイを経験したりといった事務職員が何人か勤務してい
るため、最近の韓国訪問とドイツ訪問にはどちらもそうした事務職員に参加し
てもらっています。この教職員の協力体制は何ともいえない和やかな雰囲気を
生み、それは確実に参加学生にも伝わっています。余談ですが、訪問中の出納
面の管理の一切を事務職員にお任せできることで、教員の負担が大きく軽減さ
れることも(教員にとっては、ですが)大きなメリットの一つです。

Q5:学生全体への波及効果
 前述のとおり、活動の真の目的は学生全体へのフィードバックですから、そ
のための場が必要となります。本校では主に
(a) 4学年集会での発表(夏季休業直前)、
(b) 高専祭での発表(10月)、
(c) 記録集の発行(年度末)、といった活動を通して、国際交流活動の報告を
実施しています。参加学生はそれぞれ、プレゼンテーション用ソフトを駆使し、
あるいは文章にまとめて自分たちの体験を実に熱く語ります。先輩から引き継
いだ発表のフローチャートやテンプレート、そして「コツ」が蓄積されるにつ
れて、私たちが安心して見ていられる発表になりつつあります。

 結局のところ、学校が関わる海外交流活動にとって最も大切なことは、「面
白いものを見せてやろう」という教員の情熱をおいて他にはありません。担当
者間の綿密な打合せや細やかな事前指導、訪問中の学生に対するケア、我が子
を案じる保護者への定期的な連絡、正確な出納管理、これらは全て、我々教員
の情熱があってはじめて可能となるものであり、時に夜を徹しての資料作成や
休日返上の打合せを強いるものかもしれません。これから海外交流活動を活性
化させたい、ノウハウの蓄積を始めたばかり、という段階では特に、一部の担
当者に作業と責任が集中する時期があるかもしれませんが、きっとありますが、
確実にありますが、私たちの大切な学生が好奇心で目を輝かせながら嬉々とし
て異国の学生たちと語り合う、何やら怪しげな英語を使いながら身振り手振り
で日本を紹介する、互いの専門分野のテーマについて時を忘れて語り続ける、
その姿のために一肌脱ぐことは、高専に務める教員として望外の幸せのひとつ
であることもまた、確かです。

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        追悼 平岡禎一先生
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平岡禎一先生のこと
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 平成17,18年度のCOCET副会長、平岡禎一先生(詫間電波工業高等専門学校)
が、今年5月に亡くなりました。

 平岡先生は、昭和36年広島県生れ。昭和59年島根大学教育学部卒業。昭和61
年 岡山大学大学院修了、詫間電波高専一般教科助手・講師を経て平成7年助
教授に昇格。その間、平成2年に英国Reading大学にて文学修士の称号を取得。
教育学、文学、2つの修士号を持った高専英語教員となりました。
(http://read.jst.go.jp/ddbs/plsql/knky_24_2?code=1000143105)
 その業績は、著書、論文、学会発表など多岐にわたり、最近では、Wisdom英
和辞典、そしてCOCET3300と、大きな仕事に多大な貢献をされたことは記憶に
新しく、特に、COCET3300については、彼が独自に作成したNewScientistコー
パスや、TACMASデータベースがあったからこそ完成したといえるものです。

 しかし、平岡禎一という人の本領は、その肩書きや業績ではなく、その人柄
にあります。彼と話していて、学生のこと、授業のことに話が及ぶとき、彼が
詫間電波高専をいかに愛し、授業を大切にし、そして学生を育てることに情熱
を持っているかが伝わってきたものです。彼は誰よりも早く出勤し、誰よりも
遅くまで学校に残っていたそうです。すべては学生のためでした。

 それに加えて、平岡先生は野球部の監督もやっていました。
 私自身、17年間高専野球部の顧問をやってきて、監督という仕事がいかに重
労働であるか、よく知っています。複数顧問制を取っているにしても、高校野
球の監督というのは別格です。ましてや就任当時の彼は野球の素人でした。
その素人監督が、どんな思いで詫間電波高専の野球部を育てたか、それは、
四国新聞に掲載された、彼の教え子の言葉に凝縮されています。
(http://www.shikoku-np.co.jp/feature/baseball/2006/summer/
local_tournament/game/20060714_1.htm)

 そんな環境の中で、彼は研究もやりました。COCETの大会、各地の英語教育
学会も常連でした。科研費も連続で取りました。まさに「これから」という
ときだったのです。
 平成17年7月、『厄介な病気になりました』というメッセージを私たちに残
し、彼は病院に入りました。
 以来10か月、文字通り「闘病」でした。37時間に及ぶ手術、放射線、抗ガン
剤、そしてまた手術...。
 誰よりも学生を愛し、教育を生き甲斐とした彼にとって、再び教壇に立つこ
とができないというのは、何よりも残酷な宣告だったに違いありません。

 平成18年5月16日、訃報。

 彼の生還を信じていた私たちを、天は見事に裏切りました。「なぜ彼なの
か?」という疑問は、今も消えないままです。

 平成18年9月24日、広島県三次市の墓前に向かう私たちを、彼は雲一つない
秋晴れにして迎えてくれました。彼岸に立つ彼は、いつもの、あのはにかんだ
ような笑顔で、「いやぁ~、申し訳ないなぁ~」という口癖を言いながら頭を
掻いていたことでしょう。
 いや、平岡さん、私たちはあなたに会いたいから来たんですよ。そして、
きっとまた会いたくなるから、そのときまた来ます。
 手みやげは、やっぱり高専生の英語力向上ですよね。
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編集後記

 12号(2005年7月20日発行)から、1年3ヶ月ぶりにCOCET通信第13号をお届
けします。従来のものよりも、1号当たりのボリュームを減らすかわりに発行
号数を増やしてみようということになりました。初めての試みですので、皆様
のご意見をお聞かせいただければ幸いです。
 非常にご多忙なスケジュールの中、ご寄稿下さいました先生方には、心より
御礼申し上げます。
 平岡先生のお名前を目にするたびに、平岡先生の明るい笑顔と朗らかな笑い
声が思い出されます。先生の早すぎるご逝去を悼み、ご冥福を心よりお祈り申
し上げます。
                          (編集 青山晶子)
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次号は、8月に千葉で開催された第30回大会を特集します。お楽しみに。

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