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COCET通信        創刊号 (99.11.11)
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目次
 COCET通信とメーリングリストによる意見交換開始のご挨拶
                       (東京高専 村井三千男)
 巻頭言 「外国語教育の停滞」       (都立高専 山田豪)
 国専協会長よりの挨拶(転載)       (宮城高専 斉藤正三郎)
 「全国高専英語教育学会と共に,そして思う」(舞鶴高専 市村憲太郎)
 「森住先生の特別公演をお聞きして」    (札幌市立高専 工藤雅之)
 「第23回大会を振り返って」       (富山高専 青山晶子)
 「COCET第23回京都大会に参加しての感想」 (苫小牧高専 東俊文)
 「COCETに要望すること」          (福井高専 瀬川直美)
 高専英語教官紹介
  徳山高専
  八代高専
  詫間電波高専
  米子高専
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全国高等専門学校英語科教官各位
                    平成11年11月11日

COCET通信とメーリングリストによる意見交換開始のご挨拶

               全国高等専門学校英語教育学会(COCET)
               会長 村井三千男(東京工業高等専門学校)

 時の経つのは早いもので、もう今年も残り少なくなって参りました。
全国の高等専門学校英語科の先生方には如何御過ごしの事でしょうかお伺い申
し上げます。
 さて、私は今年度より全国高等専門学校英語教育学会(COCET)の会長職を務
めさせて戴いております村井と申します。どうぞよろしくお願い致します。
 現在高等専門学校は国公私立合わせて全国で約60校ありますが、COCETと
いう高専の学会があるので高専独自の様々な問題について討議したり、英語教
育、英語教育学、英語学、英米文学等の研究を広め合い高め合うことが可能に
なっています。
 多くの先生方がご存じと思いますが、そのCOCET第23回研究大会(於京大
会館)の理事会、総会等で、今秋よりCOCET通信とメーリングリストによる意
見交換を実現することに決定しました。年1回直接会って話し合うことも大切
ですが、パソコンを利用して頻繁に情報交換、意見交換をすることも大切です。
全国に点在する高専が物理的距離感を感じることなく、心理的に一体化できる
ようになれるのは大変嬉しいことです。
 COCETは「家庭的な雰囲気の中で、教育も研究もハイレベルを目指してい
る。」とよく言われています。このCOCET通信はCOCETの会員非会員に拘らず、
高専英語教育に携わっていらっしゃる先生方を家庭的雰囲気で結ぶ役割を果た
します。またメーリングリストに登録して戴いた先生方での意見交換を活発に
していくことも高専英語教育のより一層の充実と発展のために寄与するものと
考えられます。どうぞCOCET通信とメーリングリストによる意見交換をご利用
下さい。(メーリングリストによる意見交換に参加希望の方は、亀山太一先生
kame@gifu-nct.ac.jpまでご連絡下さい。)

 これらの開設にあたりましては、COCET顧問、特別会員の先生方、前会長松
林嘉煕先生(鈴鹿高専)、前副会長深田桃代先生(豊田高専)、理事山田豪先
生(都立高専)、理事亀山太一先生(岐阜高専)、立野彰先生(富山高専)、
出口芳孝先生(鈴鹿高専)、森岡隆先生(和歌山高専)、荒木英彦先生(東京
高専)その他の先生方に大変お世話になりました。心より感謝申し上げます。
またご多忙の中COCET通信第1号にご執筆して下さいました先生方にも厚く御
礼申し上げます。
 COCET通信とメーリングリストが開始されますのは平成11年11月11日
という記念すべき日です。
(メーリングリストの方では、山田先生が12日に「メーリングリストの実施
要領」を送られる予定です。)
 これを機会にさらに高専の英語教育が発展を遂げることを祈念しております。
そしてその実現のためには全国の先生方のご理解ご協力が必要です。ご意見ご
感想等をお寄せ下さい。
 末筆になりましたが、COCET通信にはCOCET顧問の斉藤正三郎先生(国立高等
専門学校協会会長、宮城工業高等専門学校校長)が9月のCOCET研究大会開催
にあたって送って下さった挨拶文も掲載致しましたのでお読み下さい。
どうぞ今後ともよろしくお願い申し上げます。
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巻頭言 「外国語教育の停滞」

                    都立高専 山田豪

 新学習指導要領への改訂によって、21世紀のいつ頃になったら、子どもたち
は学校の外国語教育を通して、その言語を「単に話せる言葉としてではなく、
4領域に渡って生きた言葉」として習得することができるようになるのだろう
か。文法訳読式がそこら中で未だ健在な日本の学校では、まずこのような主張
ばかりをこれから50年間繰り替えしても、将来に亘って目に見えるような変化
は起きないのではなかろうか。
 それについて、その前身に日本教育家委員会をもつ教育刷新委員会(1946-52)
の速記録から次の2つの発言を見てみよう。

  ただ早く本が読めるようになるということ、それも高等学校の目的でもあっ
  たのであります。結局耳から入って口から出すという語学は軽蔑しており
  ました。非常に一方的なやり方で、オーラル・メソッドになると先生の方
  では相当にやはり熱心であります。だから相当にむずかしい本を読めるの
  ですが、日常の会話が出来ません。これからオーラル・メソッドとかいう
  ものを盛んにしなくちゃいけないのだと思います。日本には変な気質がご
  ざいまして、へらへら外国語なんかやる人は尊敬されないというような変
  な気持ちがございますので、むしろむずかしい本を読める方がいいのだと
  いうような一つの時代の波もあったのですね。だから人の説を吸収するの
  は、なかなか日本の学生はうまいのでございます。自分の意見を発表する
  点は殆どゼロであります。(昭和23年12月3日)

  ロシア人だから多少心配しましたが、兎に角よかろうということでやって
  もらったことがございます。その政治的のことや、イデオロギーは一切抜
  きにして、純然たる語学的の話をということで昨日もありましたが、今支
  那の文学者が日本に来ていて、その人が昨日学校に来まして、支那語の生
  徒を集めまして話をいたしましたが、そういうようなことで、向こうも常
  時コンスタントにできないと思うが、助けてやろうという意思は結構ある
  ようですね。(昭和24年1月21日)

 これは、教育刷新委員会(第11特別委員会第27回議事)の速記録から抜き書き
したものです。敗戦から54年が過ぎ、時代環境は天と地ほどにも変化してしまっ
た。そして学校の外国語教員の力も当時とは比較できない程向上したことは間
違いないでしょう。しかし速記録から判断する限りは、外国語教育に関わる今
日の様子は、どうも当時とそんなに変わらない状況にあるように見えますね。
 それではその理由を考えてみよう。その理由には、外国語教育が「生きた言
葉」を育てる上で望ましい環境と条件の下でなされてこなかったことがあげら
れる。入試英語が弊害だと速記録の別の部分ににもあるが、それについてはい
つになったら排除できるのであろうか。
 さらに次の理由も大きい。
 第一に、子どもたちだけではないのですが、一般に人は自分の意見を明確に
持つようには育てられていません。意見を持っていなければ、発表のしようが
ないのは当たり前でしょう。
 そうであれば、最近いわれるようになった発信型コミュニケーションはどう
なるのでしょうか。コミュニケーションが他者との関係において成立し得るに
は当然に自分の意見が必要です。しかしそのような教育はどこでやっているの
だろうか。
 第二に、対話の必要性を日本人はどこまで切実に感じているのだろうか。日
本人は、見知らぬ人を含め、親しい人に対しても、相手との対話が本当に大切
だと思っているのであろうか。日常的には「言わなくても分かる、人は分かっ
てくれる」と思い込んでいる度合いが大きく、言葉で明確に言い表わそうとあ
まりしない傾向が強いのではなかろうか。
 言語でしっかりと言い表わして、意思を明確にしようとはしない。そういう
訓練を受けて育つことはまずないではないか。見知らぬ他者の意思をはっきり
と理解しようとするには、言語的に正確に言い表わし切れるかどうかにかかっ
ている。それは不可欠のことになるはずだが、その必要性が自覚されることは
少ない。
 この地球上には、およそ3000語から6000語という言語が日常的に話されてい
ると言われている。日本語とは異質なそれら諸言語の、1つや2つの実態を謙虚
に知ろうとすれば、言語的な骨組みをしっかり認識し、それを通して「異質な
言語の内容と文化」を確認するのが当然であろう。それによってしか他(多)民
族・他(多)文化を知り得ないと思われる。
 上の速記録においても、外国人講師には「ラングウィッヂとして協力しても
らう」と表現され、外国語教育とは「言語の内容と文化」へと行き着く手前の
のものと思い込まれている。それで、「その政治的のことや、イデオロギーは
一切抜きにして、純然たる語学的の話を」と表現したのであろう。しかし純然
たる語学的な話だけに区切ろうとしても、それは実際にはできない話です。鈴
木孝夫氏は、「英語の授業は、英語だけに集中」と書いている。しかし、実際
には彼は「教室に内容として日本」のことを積極的に取り入れるべきだと主張
している。内容は何にしても、伝える内容を何か認めざるを得ないのです。
 速記録の発言で危惧されてはいたが、言語の実際の内容は、政治的、イデオ
ロギー的なものに留まることはない。人々の生活を成り立たせている言葉の区
切り方、組み立て方自体すべてが、言語ごとに相違している。それによって内
容のあり方、方向性もまた相違している。
 この点では、日本文学に対する外国文学の相違を把握することは外国語教育
において本質的な意味がある。そのことを改めて問いただしてみるまでもない
ことであろう。この点では、外国語教育は、日本人には大きな意味を持つ。
 外国語教育の未成熟さはターゲットが明確にされていないことにもあろう。
むしろ、明治以来の歴史から見れば、英語教育はそのターゲットをはっきりさ
せることができなかったと言うべきです。
 そのことは、積極的に英語を取り入れようとして、西欧と格闘したと言われ
るロンドン留学中の漱石の帰結が「西欧への幻想を捨て、自己本位の道を探せ」
となってしまったことにも理解できよう。彼は実際、西欧精神の本質をなすキ
リスト教などを軽視してしまった。さらにまた英語などは必要ないという側面
から英語教育への攻撃は歴史的に絶えまなく続き、外国語教育の深化がおろそ
かにされている。
 言語学について言えば、それは「抽象的な構造と混沌」に主に関心があり、
そして文学はその範囲がいかに広くても「実存世界の深さ」に大きな関心があ
る。この意味では、研究者の独自性がまさにモノを言う。
 外国語教育の停滞の理由は、一つに、他の何よりも、良い面においても、悪
い面においても、国家(行政)が甚だしく一方的な大きな支配権を続けているこ
とにある。第二に、外国語教育が「言語学の類いに傾斜したもの」へと矮小化
されて「ラングウィッヂ」の次元に留まるものとされてきた。このために、ター
ゲットへのアプローチが音声学、教え方への言語学の応用、統計的な分析とい
う形式的な側面の多いものに片寄ってなされてきていることにあろう。
 言い換えると、それが、外国語教育が扱うべき本来の全領域を正しく捉えて
いないのです。これらの研究が、人間教育と子どもたちの生命の充実へと向かっ
ていないというべきでしょう。結果として、これまでの外国語教育は形式性が
大きく、本来的な姿が持つ深さから見れば、両者の間はあまりに距離があり過
ぎよう。
 人間の教育ということに視点を向ける時、少なくとも外国語教育は、人がそ
の国に同調していようと反発していようと、言語としては日本文化の「あり様」
への否としてある。そして同時にこれとどこまでも共生できるものとしてある
ことも知る必要があろう。
 私たちのコセットは、第23回大会を期に確実に新しい一歩を踏み出した。こ
れからコセットはどの方向に向かって歩み出すのであろうか。
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ごあいさつ
        (第23回COCET全国大会に寄せられたものの転載です)

               国立高等専門学校協会会長
               全国高等専門学校英語教育学会顧問

                          斉藤正三郎

 第23回全国高等専門学校英語教育学会京都大会の開催にあたり、一言ご挨
拶申し上げます。
 全国高専英語教育学会は高専英語教育に大きな貢献を果たしてまいりました
が、本研究大会は今年度で23回を数えるにいたり、これは本学会を高専英語
教育の研究と教育実践の両面から支えてこられた会員諸氏の努力と研讃のたま
ものであり、心から敬意を表するものであります。同時に今後ともさらに高専
における英語教育を推進発展させることを祈念念申し上げます。
 さて、高専をとりまく教育環境が、日本の社会状況の変化にともない、その
発足当時とは大きく異なってまいりました。国専協または大学審議会大学教育
部会において、創設から37年が経過した高専の問題点やそのあり方および将
来像が審議されております。さまざまな国際的影響のもと、ねが国の祉会経済
情勢は大きく変化し、高専が直面している問題は高専のみに関るものではなく、
むしろ、社会全体に関る問題となっております。このような状況下で、高専が
生き残るためには、専門学科の創意工夫を俟つことはもとよりではありますが、
専門教育以前の基礎科目においても、その研究と教育実践を一層充実させリベ
ラル・アーツの名にふさわしい実力をつけた学生を社会に送り出すこと以外に
道はありません。この一点をとくに高専英語教育学会にお願いしたいのであり
ます。会員諸氏が研讃し研究したその成果を、どうか日々の授業で学生に還元
し、語学を学ぶ喜びと希望を与えてもらいたいと思うものであります。
 他方では、文部省学習指導要領が改定され、コミュニケーションを主体とす
る英語教育が叫ばれる昨今ではありますが、高専における英語教育は、道案内
や買い物英語の領域にとどまることなく、さらには英文法の約束ごとや単に工
業英単語の知識の伸長を図ることなどにとどまることなく、言葉を学ぶことは
人間を学び、その思考を学ぶことでありますので、ものづくりをする高専の学
生たちに、人間愛に満ちたフィロソフィを培う語学教育をほどこしてほしいと
希望いたします。
 最後になりましたが、本日、私どものためにお忙しい中をご講演くださいま
す大阪大学の森住先生に会員を代表して心より感謝申し上げます。また、京都
大会の開催にあたり、村井会長はじめ本大会の企画運営にあたられた関係各位
に感謝申し上げ、本大会が高専の英語教育の研究と教育実践に大きな道筋を示
すことを祈念しご挨拶といたします。
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「全国高専英語教育学会と共に,そして思う」

                    舞鶴高専 市村憲太郎

 “Time flies!”はよく言われるが,最近ほどそれをひしひしと感じる時は
ない。
高専へ奉職して早30数年,今のご時世,一般会社ならば,もうとっくにリス
トラにあっていても不思議ではない。
そうは言っても,まだ,まだ,“老骨むち打って”とは言わないが,公僕とし
て,国家に対して忠義を尽くしておるつもりである。(少し表現が古すぎた
か?)
 昔を語るようになると,もう年だ,と言われ,時には立腹したものだが,今
は何の抵抗もなく,それを受け入れている。今回,都立高専の山田先生より,
原稿を依頼されたのも,“亀の甲より,年の劫”でもなく,何を隠そう,“年
”,それだけのことであろう。途中(昭和64年ごろ)から運営委員(現理事)
となるも,これも何代もの会長,副会長などのお荷物で,ご迷惑ばかりをかけ
てきたように思う。
 さて,現在,我が学会は,老若男女を問わず,非常に活気にあふれており,
しかもat homeな会である。誠に結構である。しかし何事でもそうであるが,
当初から順風満帆ではなかった。「研究論集」(第16号)の「20周年に寄
せて」にも書かれている通り,ある時は,全国研究大会とは名ばかりで,集まっ
た者は,会長はじめ数人の運営委員,2~3人の会員,というような時もあっ
たように記憶する。
 今2冊の論文集を前に,いろいろと当時に思いを巡らせている。1冊は,現
在の「研究論集」(第18号)である。それにしても,よくぞここまで発展し
たものである。ここ数年の学会参加者数もさりながら,研究発表者も多く,当
然その「研究論集」も充実したものになっている。加えて,最近の講演会の講
師は,
'99年の森住 衛氏(大阪大学),'98年の金谷 憲氏(東京学芸大学),
さかのぼれば,若林俊輔氏(都留文科大学。東京外国語大学名誉教授),東後
勝明氏(早稲田大学・元NHK英会話講師),青木昭六氏(愛知学院大学・元兵
庫教育大学),等,英語教育界を代表する超一流の方々にきていただいている。
誠にありがたい限りである。もう一つは,この「研究論集」の原点である「CO
CET JOURNAL」(No.1)である。当時としては,これもすばらしいもので,し
かもすべて英文である。これからも,「高専英語教育のための学会」を何とか
しようとした,当時の精神の高揚,が感じられるものである。
 さて,皆さまもご存知のように,今,国立大学を独立行政法人という形態に
移行させようとしている。それは教官の採用や,給与の決定,学科の改廃や研
究費の配分にかかわる権限を,国から大学へ大幅に移し,そのかわり,学術的
な業績を厳しく評価し,責任を問うというものである。従来の年功序列,終身
雇用制から,実力本位,能力主義への転換でもある。かっての国鉄の民営化ま
ではいかぬとも,なにやらその臭いも感じられる。国立大学においてでさえ,
それが全面に出てきたと言えよう。
 そうなると国立高専はどうなるのであろうか。そして我々教官の生き残りは?
答えは,“No one knows ...”であるが,“のほほん”としていてはおれない。
少なくとも,教育においては,旧態依然たる授業の改善,加えて,教官のより
一層の研究活動が求めらることは確かであろう。そういった状態になれば,な
お一層我らの学会の存在意義が,更に大きくなるであろう。加えて,今年から
は,現会長,村井三千男氏のご尽力のもと,これまでの実績も認められ,国立
高等専門学校協会の後援も受けられるようになった。この学会の重要性の増大
と,その責任も大きくなった。
 私自身はもう先はないが,願わくば,我が学会が,会長を中心としてまとま
り,会員それぞれが,自己研鑽をし,その成果を世に問い,名実共に,“高専
英語教育の中核”になっていってほしい。また,そうなるべきだと思う。しか
もat homeな雰囲気を保ちながら。
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森住先生の特別公演をお聞きして

             札幌市立高専 工藤 雅之

 全国高等専門学校英語教育学会の特別講演として森住衛先生の特別講演を拝
聴させて頂いた。学習指導要領が改訂され、英語教育に関してこれまでの方向
性を更に推し進め、『聴く・話す』中心のコミュニケーション教育に重きが置
かれるようになった。従来の『読む・書く』中心の授業からの脱皮を印象づけ
ていることから、これからの英語教員として何を考えるべきかを森住先生は熱
く語ってくれた。現状を鑑みるに、多くの教員が盲目的にコミュニケーション
重視傾向に従っていて、果たしてしっかりした考察を教員個人のレヴェルでし
ているのだろうか、と言うのが先生の提言である。
 森住先生の言質を借りれば、コミュニケーションという言葉自体が英語教育
の中で確固とした概念を持つものでないにも関わらず、現在の英語教育の現場
ではコミュニケーション教育の掛け声だけが独り歩きしているようである。曰
く、「薄っぺらすぎないか?」ということである。典型的な例で言えば、喋る
内容はともかく、学生が英語で発語できればOKというような指導形態が多い
ように思われ、これがコミュニカティヴな英語授業かと疑いたくなる。森住先
生の講演で『「聴く・話す」重視の危うさ』と題された部分ではこの危惧が具
体的に示された。あまりに浅薄な内容を行来するだけのコミュニケーション教
育は失笑さえ買いかねない。また場面、ファンクションを限定するあまり言語
活動が不自然になり、学習者の「内的動機付け」を全く刺激しない言語使用に
制限されたりしているのは、学習者にとって気の毒でならない。他方、ジャズ・
チャンツよろしく、リズムに乗せて学生に狂気的な発声を強いてゆくようなポ
ストオーディオリンガル的教授法(オーディオリンガルを断罪する訳ではない
が)が「コミュニケーション」を題材とした英語教育としてまかり通っている
現状には、少なからず問題を感じる。学生を何回当てたか、また何回喋ったか
で授業の良し悪しを決定するのも疑問である、と森住先生は警鐘を鳴らす。
 やはり「聴く・話す」を中心とした英語教育の根幹には従来のコントローラー
としての教員像に対してファスィリテイターとしての教員の存在がなければな
らないと私は考える。即ち、学習者間や校外に於ける言語活動の際に、コミュ
ニケーションが捗るよう学習者を誘導し、必要であればそれに応じた、一番効
果的な助言を加えることの出来る存在である。つまり、自発的にターゲットラ
ンゲージを学習し、自らのモノにしようという動機付けを促進するような存在
が求められているのではないか?この存在の転換無しに、本来の意味でのコミュ
ニケーションができる英語教育を指導する事は恐らく無理であろう。まして、
高等専門教育を自負する高等専門学校での英語教育を改善しようとなるとなお
さらである。森住先生の講演は、このような事を考えさせられる示唆深い講演
であった。

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第23回大会を振り返って
                      青山晶子(富山高専)

 去る9月4日と5日に京大会館でおこなわれた大会には、70名余りの参加
者がありました。以下、フォ-ラムのテ-マを中心に、簡単に振り返ってみた
いと思います。

1.「コセット通信」発行と「メーリングリストでの意見交換の場」の新設
インタ-ネットが急速に普及しつつある中で、コセットとして時代の流れに
あった対応を検討したことは、ホ-ムペ-ジの開設に続く快挙だと言えるでしょ
う。
 3つの専門分野を設けたことと、各メ-リングリストそれぞれにコ-ディネ
-タ-を置くことで、着実な成果を目指しており、研究・教育両面における会
員の資質向上が期待できます。更に、様々な面でのノウハウの共有が進めば、
コセット全体のレベルアップにつながるものと思われます。
 また、年に1回の大会も、「通信」やメ-リングリストを通じて、ある程度
の下準備ができていれば、当日の2日間をより充実したものにできると思いま
す。「意見交換会やフォ-ラムの時間をもっと長く」、「もう少しゆとりある
スケジュ-ルを」、「意見交換会は重点を絞って」などの要望にも答られるの
ではないでしょうか。

2.全国英語弁論大会について
 「実現の可能性を探る」ということで、各地区の現状に続き、地方大会を実
施している学校から大会の運営方法についての報告がありました。九州地区の
ように32回もの伝統があり権威ある大会として位置づけられている地区から、
校内大会も行われていない学校まで、実施状況にはかなりの差がありますが、
ビデオやテ-プによる地方予選やオ-プン参加方式など、全国大会の実現に向
けての積極的な意見が出されました。
 コセットに加入していない高専への対応や、国専協のへの働きかけ等も含め
て、今後も引き続き検討していくべき課題となるでしょう。

3.改善協からの報告
 都立高専の山田先生より、12月の大会への参加者の募集を兼ねて、新学習
指導要領を始め中高一環、国立大学の独立行政法人化など、高専としても今ま
で以上に敏感に対応していかなければならない問題についての報告がありまし
た。
 初日の特別講演「英語教育におけるコミュニケ-ションを問い直す?学習指
導要領改訂を踏まえて?」(講師:森住衛 大阪大学教授)からフォ?ラム終了
まで、教師自身がより広い視野から英語教育の方向を考える機会が充実してい
たことも、今大会の特色であったように思います。

4.終わりに
 コセットが「学会」になってから3年がたち、今年度は国立高等専門学校協
会の後援を得るなど名実ともに発展を遂げてきました。アットホ-ムな雰囲気
はそのままに、教育・研究レベルの一層の向上を目指すコセットを、会員の手
でますます発展させていきたいものです。
 来年も、オリンピックセンタ-でお会いできることを楽しみにしております。
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COCET 第23回京都大会に参加しての感想

               苫小牧高専  東 俊文
 COCETの大会には今回初めて参加しました。COCETの存在自体は以前から知っ
ていて、研究論集などを拝見し、いつか参加したいと思っていました。しかし
大会自体には例年学校行事等が入るなどでなかなか足を向けられず、今回、よ
うやく参加することができた次第です。
 参加してみて、少なくとも他高専の英語の先生方に会えた、ということは大
きな収穫だったと思います。北海道にも、5校の高専がありますが、それぞれ
かなり距離が離れていて、殆ど接触の機会がありません。本州以南の高専とは
尚更接触の機会が少ないというのが現状でした。というわけで、英語に限って
も、自分のいる学校以外の高専ではどのように教えられているのか、またどう
いう研究をされているのか、間接的にしかわからないというのが現状でした。
今回大会に参加して、高専の、しかも同じ英語を教えられている先生方に大勢
出会える機会を得、全国にはこれだけ同じような立場にいる先生方がいるとい
うことを確認でき、非常に心強い思いをしました。そして、他高専でも、英語
教育についても、高専制度に関するものについても、同じような問題を抱えて
いるということが感じられて、親近感を覚える一方で、先んじて教授法の改善
や研究に取り組んでいるのをじかに感じ、かなりの刺激になったと思います。
 一例を挙げれば、全国高専英語弁論大会の提案がありましたが、率直に言っ
て「寝耳に水」という状態でした。関東地区や九州地区などでは長年にわたっ
て取り組みがなされているということですが、同じように弁論大会を実施する
ことは不可能だとしても、何か別の形ででも学生達の英語力向上に寄与する取
り組みを実行していかなければならないと感じています。
 今回の大会で今一つ心残りだったのは、実際の授業で先生方がどのような形
で授業を進めているのか、その標準的な部分を(垣間見ることはできたにせよ)
もう少し具体的に知る機会が欲しかったことです。具体的には、例えば、1~
2年生のような低学年の授業では、文部省検定の高校教科書を使用されている
学校が殆どだと思いますが、それをどのように利用して授業を行っているのか、
また、副教材などどのように取り入れているのか、ということ、また、(正に
基調講演で森住先生が採り上げられていましたが)学習指導要領改訂でオーラ
ルコミュニケーションの教育が前面に出てきている中で、先生方がどのくらい
の規模で授業の内容やカリキュラムの変更などに着手されているのか、あるい
はむしろ文法や作文教育に力を入れられているのか、その実際のところはどう
なのか、等々です。至極基本的な事柄だとは思いますが、その他のものも含め、
日頃折に触れて感じる、「高専に於ける」英語教育についての様々な疑問や課
題について情報の交換ができればよかったと感じます。
 その意味では、こうしてCOCET通信が発刊され、時間の限られた大会以外に
も交流・情報交換の場が拡がることは、喜ばしいことだと思います。以後も、
情報交換も含め、COCETの活動に全く微力ながらも参加していければと思って
います。
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「COCETに要望すること」
              福井高専 瀬川 直美

 自称、「熱心なCOCETの会員」ですので、「COCETに関係するなら」とこの原
稿もお引き受けしました。ところが、今のCOCETには他の学会と比べても何一
つ不足している点がなく、要望したいことが浮かばないまま、締め切り日を迎
えてしまいました。これから述べさせていただく中で、考えが足りず身勝手な
部分は、どうぞお許しください。

1.研究大会のプログラム
 年に1回開かれている現在の研究大会の内容に、不満はありませんが、検討
してもらいたいことがあります。そのひとつめが、個人の研究発表についてで
す。現在は、2つの研究発表が2室で同時進行されています。これを発表者をも
う少し制限し、参加者全員が1つの発表を聞きに行くという形はとれないでしょ
うか。今の発表時間(30分)では、研究内容が十分伝えられる時間とはいえませ
ん。質疑応答も含め、50~60分ぐらいかけ、じっくりと1つの研究発表を参加
者全員で深めていくというのはどうでしょう。COCETだからできる研究発表の
形だと思うのです。
 もうひとつは、ビデオで授業実践を見る機会も検討していただきたいという
ことです。最近は、まだ(私も含め)経験の浅い若手の教官も増えてきており、
先輩方の授業を拝見させていただくことはとても勉強になります。また、中に
は「まな板の鯉」になって、自分の授業を診断してもらいたいというベテラン
の先生方もいらっしゃるかもしれません!?
 年によって、プログラムの内容が変わる研究大会も「COCETならでは」にな
るかなという発想から、以上のようなことを述べてみました。

2.研究グループの発足
 要望の2つめは、COCETの中で小研究グループを作り、あるテーマに沿った共
同研究をしたいということです。一人では研究費やデータ処理に携わる時間に
無理があり、なかなか大規模な研究ができません。しかし、同じような興味や
関心のある教官が複数集まり、議論を深めながら研究を進めていけば、よい研
究成果も生まれてくることでしょう。

3.講習会
 最後の要望は講習会の開催です。これからの時代は、ESPを意識した英語の
授業も必要になりそうです。科学や工学などの知識がまったくない私には、現
状では指導できません。しかし、今後の学生の将来において、英語の学習の中
にも、専門の知識を取り入れた授業が必要であれば、積極的に実践していかな
ければなりません。そこで、COCETでそのような実践を実際になさっている先
生方を手配し、講習会のようなものを企画していただけないでしょうか。
 以上述べさせていただいたことは、あまり深く考えずにふっと浮かんだ個人
的な希望です。COCETが好きで、この会を少しでも盛り上げていきたいと考え
ている、一会員の独り言と思って読んでいただければと思います。多数のご意
見をお待ちしております。

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          教 官 紹 介
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              徳山高専 桂 哲男

我が徳山高専の英語科スタッフは3名です。全国一小規模スタッフで頑張って
おります。まず主任から。桂 哲男教官、45歳、専門はアメリカ文学、特に
ユージン・オニールを研究していましたが、最近ではウィラ・キャザーについ
ても書いています。授業の中でも文学を教材とし、実用だけではない英語の楽
しさも取り入れています。また英検担当では実用英検担当として、事務手続き、
模試等をやっています。次は長戸喜隆教官、43歳、専門テーマはヘミングウェ
イの文体論でしたが、最近は論拠のはっきりした実証的な論文を書きたいとい
うことで、語用論や意味論にも傾倒しています。また授業の指導法にも関心が
あり、特に学生の興味をつなぎとめる指導法を日々模索中です。現在は学生会
の担当をしており、高専祭の準備で大忙しの毎日です。次は国重 徹教官、3
8歳、専門は英語学です。昨年の7月から今年8月までハワイ大学で認知言語
学の研究をしていました。家族を連れていったのですが、2人の子供が英語で
喧嘩するまでになったのを見て、高専生の英語力を高めるにはどうしたらいい
のかと改めて考えました。また校務では教育相談室のスタッフとして悩みを抱
える学生の相談相手になっています。英検担当は工業英検担当ということで長
戸教官と一緒に事務手続き、補習等を担当しています。以上が英語科スタッフ
ですが、最近TOEICについてもやってくれないかと言われています。取り組ん
でおられる高専がありましたら情報をいただければ、幸いです。
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               八代高専 松田 由美

 我が八代高専の英語科には4名のスタッフがおります。
 山田章則教授。ご専門はイギリス文学です。最近はサミュエル・バトラーの
評伝に取り組んでおられます。公には,熊本大学英文学会副会長,八代英語文
化協会事務局長,同人誌「詩と真実」同人という顔も持っていらっしゃいます。
随筆家の顔も持つ先生の作品は,「おやじの値段」(文芸春秋社)などにも掲
載されております。
 折田充助教授。英語教育学のご専門です。先生が学校に出て来られない日は
ないのではないかと思われるくらいに,意欲的な研究活動を展開しておられま
す。真実を日々追い求める研究者と厳しくかつ愛情あふれた教育者としての顔
をもつ先生ですが,2人のかわいい娘さんたちのことを話されるときばかりは
,幸せそうなパパの顔に戻られます。
 宇ノ木寛文講師。ご専門はアメリカ文学で,マーク・トウェインの作品研究
を中心に活動されています。一昨年は文部省派遣で,アメリカにおいて研究活
動をされました。「スポーツおたく」の顔を持つ,英文科の若きプリンスであ
る先生の授業は,英語だけでなく,スポーツを通して世界が見えると学生のファ
ンも多いです。
 松田由美講師。専門は英語学だったのですが,現在は方向転換をして児童文
学を研究中です。「おおきな木」や「ぼくを探して」等の作品で有名なシェル・
シルヴァスタインの作品に取り組んでおります。昨年,一児の母としての顔も
加わりました。息子の誕生で性格が穏和になったというもっぱらの噂・・・は
流れていないようです。

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「 我が輩はネズミである」

               詫間電波高専 平岡禎一

 我が輩はネズミである。名前はまだない。「マウス」と呼ぶ人もいる。十年
ほど前からこの主人のお世話になっている。今日はこの主人のことを皆さんに
紹介してしんぜよう。
 この人、英語という言葉を人に教える仕事をしている。そのため、二度ほど
英国へも出向いたという話だ。最初はReading、昨年はBirminghamという街で
暮らしたらしい。特に~を勉強した、というわけでもなさそうだが、時々、我
が輩を使いながら、何やら、こむずかしげなことを書いている。ご苦労なこと
である。
 彼が最も愛しているの英国の麦酒である(「猫」さんのご主人もそうだった
なあ)。毎晩「あ~、ビターが飲みたい」と愚痴をこぼしながら日本の麦酒を
飲んでは酔っぱらっている。教師を辞めたら、生れ故郷の街に英国風のパブを
作るのが夢だと言ってはいるが、「離婚してからにしてね」と、奥方にはまっ
たく相手にしてもらえない。哀れな話である。
 彼が最も嫌っているのは煙草である。三年前、突然止めたかと思うと、煙草
の害を訴える投書を新聞各社へ送ったり、禁煙教育に精を出し始めたようだ。
嗜む人達からはかなり煙たがられているという話も聞いた。まあ、お蔭様で、
私の周りの空気はいつもきれいである。
 この先、主人の指先からどんな文章が生まれるのか、楽しみではある。半面、
もう昔のような無理はできない歳である。お互い、体には充分気をつけたいも
のである。
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「わが米子高専の英語の先生の横顔」
  ーー英語科のコンピュータの達人、森田先生ーー

                 米子高専 中井大造

 コセットのメンバーである森田先生は英語科の中でも中堅の30歳代。バス
ケットに燃える熱血先生で、自身、社会人リーグにも属し、日々バスケ部の指
導をしている。工業英語検定の担当でもあり、奥村先生の後を受けて、受験者
倍増に日や取り組んでいる。彼は5人いる英語科の中でコンピュータに一番詳
しく、他の先生方でわからないことがあると、「おーい、森田さーん」と頼り
にされる存在である。他学科の先生と共同研究として、「コンピュータによる
自習型工業英語教材開発」をしており、コンピュータと工業英語という彼の二
つの強みを合体させて、日夜高専生の英語力の向上に努めている。人と争わず、
優しく面倒見が良いことから学生にも慕われ、同僚からは「森ちゃん」の愛称
で呼ばれる、けれんみのない先生である。
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