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COCET通信            第16号 (08.05.16)

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COCET通信                 第16号 (08.05.16)
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第1回プレコン特集号

目次

(1) 第1回プレコン開催までの経緯
          大分工業高等専門学校 穴井 孝義(第1回実行委員長)

(2) プレコンを終えて
                   有明工業高等専門学校 安部 規子

(3) 第1回全国高専英語プレゼンテーションコンテストに出場して
                   石川工業高等専門学校 太田 伸子

(4) 高専初年度あれこれ
                   一関工業高等専門学校 尾上 利美

(5) Closing Address of the 1st Annual English Presentation Contest for Students in Colleges of Technology
                         KAMEYAMA Taichi, President

編集後記


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(1) 第1回プレコン開催までの経緯
                   大分工業高等専門学校 穴井 孝義

 今年は、高専史上初となる「全国高等専門学校英語プレゼンテーションコンテスト」が開催された年。同コンテストの実行委員長を務めた私にとって、記念すべき年でした。
 思い起こせば、ことの発端は、平成15年8月に京都で開かれたCOCET総会の懇親会の席上で、鹿児島高専の森隆先生から「英語弁論の全国大会を実現してほしい」という提言が出されたことでした。この提言を受け、当時COCETの副会長をされていた故・平岡禎一先生(詫間電波高専)から「これまでもこの類の案が出る度に、皆さん『総論賛成、各論反対』となって、なかなか前には進みませんでしたが…どうでしょう、穴井先生? 九州地区は弁論大会の歴史が一番長いので、ここは一つ、音頭取りをお願いできないでしょうか?」と打診されたのが、私とプレコンとの関わりの始まりでした。
 そこで、当時、既に英語弁論の地区大会を実施していた関東・信越地区の小澤志朗先生(長野高専)、中国地区の南優次先生(宇部高専)、四国地区の平岡禎一先生、そして九州地区の嵯峨原昭次先生(鹿児島高専)にお声を掛けて、有志5人からなる「全国高等専門学校英語弁論大会(仮称)調査・準備世話人会」を発足させ、年の瀬も迫った12月に別府で第1回目の会合を開きました。これは文字通り"手弁当"での集まりでした。いつ実現するかも分からないことを話し合うために、わざわざ私費を投じて別府にまでお越しくださった有志の方々に、今でも心から感謝しています。
 その後、同世話人会には英語弁論大会未実施地区からの有志も加わり、全国
大会開催に向けた活動を展開していくことになるのですが、開催に至るまでには大きく分けて3つの「きっかけ」が関わっていました。

 1つ目のきっかけは、世話人会が平成16年に行った、全国大会開催についてのアンケート式実態調査でした。高専英語教員の83%が全国大会の開催に賛成していることが判明し、同年のCOCET総会で、世話人会による英語弁論全国大会開催に向けての推進活動が認められたのです。しかし、一部の参加者からは「高校でやっているものと同じものでは意味がない」とか「うちの地区では地区大会すら開いておらず、開催のノウハウも持ち合わせていないので、参加は厳しい」等の意見も出され、改めて「総論賛成、各論反対」の憂き目に遭いました。
 2つ目のきっかけは、平成18年に中国地区で開かれた英語弁論地区大会の懇親会の席上で、松江高専の荒木光彦校長から同高専の服部真弓先生に「全国大会開催の嘆願書を中国地区の校長会に出してみては」とアドバイスをいただいたことです。これをきっかけに、服部先生と連絡を取り合いながら、九州沖縄地区と中国地区の高専校長会に対し、全国大会開催の嘆願書を出すことになり、九州沖縄地区校長会からは「推薦書」を頂戴して、嘆願書と推薦書の双方を高専機構に送ることができました。しかし、これまた、全国の高専校長からなる高等専門学校連合会からは、「機構任せのトップダウンでの開催は運営が困難である」ことや、「大会実施に向けての具体的な方策が出ていない」ことなどが指摘され、全国大会開催までにはこれらの問題点を克服することが至上命令となりました。
 そして、3つ目のきっかけとなったのは、平成19年にCOCETの執行部が世話人会に加わったことです。新3役となった会長の亀山太一先生(岐阜高専)と副会長の武田淳先生(宮城高専)、崎山強先生(都城高専)が、世話人会の抱えていたこれまでの問題点を克服することを念頭に、(1)大会名を「英語プレゼンテーションコンテスト」とすることで「高専らしさ」を出す、(2)機構任せではなくCOCETが大会の運営をする、(3)教員と学生がコンテストに出場しやすくなるよう、大会を公的行事とすべく、高等専門学校連合会との共催とする、という3つの方針を打ち出し、実行委員会(これまでの「世話人会」を改称)に提案がなされました。その後、同実行委員会が九州沖縄地区を参考モデルにして英語プレゼンテーションコンテストの「大会規約」と「大会実施要項」を作成し、機構に再び直訴。その結果、平成19年6月の高等専門学校連合会総会で同コンテストの開催がようやく承認されたのです。

 これらの3つのきっかけを思い返せば、同コンテストが必然的に進むべき道を進んで開催にまで漕ぎ着けたのがよく分かります。そして、すべての実行委員の先生方の情熱と弛まぬ努力に支えられてきたからこそ、同コンテストの開催が実現したのだということを肝に銘じ、心から感謝申し上げたいと思います。実行委員の先生方と出会えて、そして一緒に仕事ができて、私はとても幸せでした。

 第1回コンテストでは、機構関係者をはじめ、150人ものご参加をいただき、概ね成功裡に終えることができました。特に、引率教員24人中20人の方からはアンケートで「今後もこのコンテストに学生を参加させたい」と答えていただき、実行委員一同、至極、光栄に思います。ですが、初めての開催ということで、参加された先生方や学生諸君には随所でご迷惑をおかけしたことと思います。この場を借りて心よりお詫び申し上げます。

 本大会が軌道に乗るまでにはまだ数年はかかると思いますが、新しく芽生えた灯火が消えぬよう、今後とも皆様方のご理解とご支援を切にお願い申し上げます。

 最後になりましたが、本稿で触れた実行委員の先生方のほか、下記の実行委員の先生方にも大変お世話になりました。改めて御礼申し上げます。
長山昌子先生(富山商船高専)、奥崎真理子先生(函館高専)、吉永進一先生(舞鶴高専)、岡崎久美子先生(宮城高専)、森和憲先生(詫間電波高専)。

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(2) プレコンを終えて
                   有明工業高等専門学校 安部 規子

 1月の「第1回全国高等専門学校英語プレゼンテーションコンテスト」から4ヶ月近くが過ぎました。あの日いただいた「スピーチの部」のトロフィーは、現在本校ロビーのガラスケースの中にありますが、アカデミー賞のオスカーのような素敵な形がとても美しく、今でも通りすがりに目をやるだけであの日のことを鮮明に思い出させてくれます。
 プレコンでは、実行委員長穴井孝義先生はじめ運営に携わった多くの先生方に本当にお世話になりました。出場学生全員の素晴らしいパフォーマンスが、COCET会長亀山太一先生はじめ諸先生方の本大会開催にかけた熱い思いに報いるものであったのではないでしょうか。
 さて、今回本校から出場した学生物質工学科3年(当時)佐藤美紀さんのスピーチについてESSの顧問として少しふり返ってみます。予選となる7月の地区の英語弁論大会が終わって、彼女が全国大会には地区大会とは別の新しいスピーチで出場したいと言って来た時、私は不安を覚えました。「地区大会でよい成績を収めたスピーチをさら練習して発表すればいいのに、なぜ? あのスピーチを作るのも大変だったのに・・・」というのが私の気持ちでしたが、彼女は地区大会での他の高専の参加者の皆さんのスピーチの内容や参加者同志の交流から大きな刺激を受け、本当に自分が訴えたいテーマが芽生えたようでした。「新しいスピーチの内容は夏休み中に考えます。」と彼女は言ったのですが、夏休みが明けても、秋になっても、冬が来ても、原稿はできませんでした。私の不安は募りました。九州・沖縄地区の代表として全国大会に出場するからには、中途半端なパフォーマンスでは悔いが残る、十分な準備をして臨んで欲しいのに・・・。本校後援会ではプレコン出場に際して手厚い支援をしてくれました。飛行機の予約もすみ、ホテルも、安心して泊まれるようにとの配慮から、新宿駅前の私どもにとっては高級なホテルに宿泊することになりました。しかし肝心の原稿はできません・・・。頭の中でテーマが熟成するのに時間がかかっているようでした。1月になっても「冬休みもいろいろ忙しく・・・」と微笑む美紀さん・・・。ようやく原稿が最終的な形になったのは、大会の2週間前。それから、アメリカ人のRichard Grumbine先生の指導で、ESSの部員を聴衆に発表の練習をして、上京の日を迎えました。そして本番での彼女のパフォーマンスは先生方がご覧になった通りです。Power of Languageというテーマで、「英語には英語の、日本語には日本語の比類ない力があり、外国語を学ぶことによって異文化を知り、同時により深い自己認識・自己表現へと結びつく」という内容を彼女らしく聴衆の皆さまに伝えることができました。このようにふり返って見ますと、今回のプレコン出場のために私がしたことは、ただカレンダーを見ながら気を揉んだだけということになるようです。
 ところで彼女は、まだ原稿ができていない時から、プレコンが待ち遠しいとしきりに言っていました。その理由は、「自分が考えた内容を英語で伝えることも楽しみだけれど、英語に興味がある高専生にたくさん会えるのが一番楽しみ」とのことでした。そして大会では実際、自分から他高専の学生さんたちに話しかけていましたが、限られた時間でもあり、名残惜しいようでした。大会運営の先生方にこれ以上の負担となるのは申し訳ないのですが、全てのプレゼン終了後の審査中の待機時間などに、参加学生たちの自己紹介など交流を図る機会があれば、というのが彼女の要望です。
 大会後には、多くの先生方から感想やアドバイスをいただき、本人も感謝していました。来年は「プレゼンテーション部門」に出場したいという気持ちも持ったようです。海外生活も長く、英語も堪能な学生ではありますが、記念すべき第1回のプレコンでの栄誉を彼女が受けたのは、それだけが理由ではありません。1年生の時から出場した地区大会を通して、英語への興味をよりいっそう深め、自分がスピーチするだけでなく、他の高専の学生のスピーチを聞くことによって、自分自身や言語、文化、世界について深く考える機会を得て、成長をとげた成果でもある、と帰路彼女は話してくれました。
 実行委員会の先生方、素晴らしい大会運営に心から感謝いたします。大会早朝から準備に追われながらも、あたたかい笑顔で私どもを迎えてくださり、2日にわたって終始和やかな雰囲気の中大会に参加することができました。帰り際には、クリスピー・クリームのドーナツまでおすそ分けいただきありがとうございました。最後になりましたが、各地区での英語弁論大会、また全国プレコンが、今後も高専生に大きな成長の機会を与える貴重な大会として発展していきますことを祈っております。

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(3) 第1回全国高専英語プレゼンテーションコンテストに出場して:
     「5人のチームワークですよね,先生。」

                   石川工業高等専門学校 太田 伸子

1 はじめに
 2008年1月に第1回全国高専英語プレゼンテーションコンテストの本選が行なわれました。全国大会が実現したことは,高専の学生達のために大変幸いなことでした。大会実現は,何よりも,歴代の会長,大会事務局長をはじめ,多くのCOCET関係各位が,数年に亘って,忍耐強く様々にご尽力下さった成果です。また当日の鮮やかな運営も,実行委員会の皆様の,時間と労力を惜しまぬ熱意あふれる準備と工夫の賜物です。心から感謝します。
 石川高専の3名の学生(南さくらさん,近江望美さん,加藤聡一郎君)は第1回大会のプレゼンテーション部門で優勝することができました。彼らの向上心と努力が優勝という形で実りました。指導者として3名を誇りに思います。現在,チームメンバーの1名は4年生として活躍しており,2名は3月に卒業し,大学で勉学を続けています。これから更に大きく成長することを楽しみにしています。また,各高専の指導者の皆様が,会場で,私たちの優勝をともに喜んで下さった姿に,深い感銘を受けました。
 編集長から,「優勝校の指導者としての一言を」との光栄なご依頼をいただきました。「ご要望に応じた内容をお伝えしなければ」とプレッシャーを感じ,正直なところ執筆を躊躇しました。しかし雑談的体験談でご容赦いただき,以前の拙稿(COCET通信第14号「よもやま話:スピーチコンテストと学生の指導」2007年1月)とあわせてご笑覧いただくことに致します。紙面の関係で,発表内容などの詳細は省きますので,大会HPをご参照ください。

2 指導の現状
 1月から4ヶ月もたったこの5月になって,やっと大会出場の諸般を反芻できるという状態です。大会までの準備期間も大会が終わってからの日々も,喜びを味わうどころか,毎日の校務,授業,現代GP(3種),外部審査(6種)などにかかわる諸般にひたすら対応していました。校務の1つが,一般教育科主任という役割であるため,年度末は,23名の教員で構成される科の新年度への立案なども行なわれました。また公募など人事異動への対応もありました。どこの高専も同じ状況であると思います。他の業務が多くて,本来最も興味があり,教員の使命でもある学生の指導そのものに,思う存分専念しにくいというのが現状です。
 石川高専では,専任外国人教員のパトリック・スコフィールド先生が2005年の夏に赴任され,一般教育科の専任教員として,他の教員と同じ様に,授業や校務分掌を担当しています。上記の様な多忙な日常の中で,それぞれの特性を活かしながら,2人で協力して指導にあたることができたことは,優勝の強力な要因です。人員配置の改善が,指導者への大きな味方となって効果を表しました。

3 大会への道のり
 最も大変だったのはDVD審査による予選の準備をした時期でした。1月の大会にあわせて準備日程を組んでいたところ,11月上旬がDVDの締め切りと分かり慌てました。学園祭の準備や卒研の準備,スピーチ部門の地方予選の準備とも重なりました。(スピーチの北陸東海地区大会では,代表を逃しましたが,出場した2名は1年生ながら健闘しました。)第1回大会のため,基準の予想がつかず,どの様な内容が求められているのか手探りの状態でしたが,彼らは,自分達が納得できる内容でやってみようとの結論を出しました。
 学生達は,実によくディスカッションし,発表テーマも自分達で考え出しました。テーマと内容構成に整合性があるかなどを話し合い,完全なものにしたいという向上心から,時には意見が一致せず考えこんだこともありました。プレゼンについて話す時は,英語を使っていましたが,夢中だったので,日本語で話していなかったことを,学生も私も後になって気付きました。
 たとえば,私からの全体的方針,助言を受け,3名でそれについて考えて,自分たちで具体的に改訂して,また助言を受け,改訂するというプロセスを繰り返しました。予期せずbrain storming, listing, loop writing, clustering, cubing (Ferris & Hedgecock 1998) が実現していたと思います。予選通過後は,本選に向けてパワーポイントを改善しました。また,校内リハーサルは,大小3回ほど行いました。学生が自主的に行った回数も含めると,相当回リハーサルをしたことになります。以前に高校生の指導をしていた頃,聴衆の評判や前評判が良いからと期待していたのに,実は全く入賞できなかったという苦い経験がありました。「コンテストでは,審査員が評価して下さる発表が入賞する。」という当り前のことを肝に銘じて,自分が審査員ならどう見るかを考える様に,学生に伝えました。
 2分間のQAに3名の学生が動じることなく対応できたのは,イングリッシュワークショップの影響もあると思います。一度に複数のゲストをお招きする行事で,年に3回ほど実施しているので,多い人で15回くらい参加し,初めて会った方ときちんと英語で対応するという経験をしています。ディベイトの練習も,結果として訓練になっていたと思います。

4 背景
 高専入学以来,学生達は,授業や課外でのインターラクションを通じて,多数の教員から大いに薫陶を得て成長しました。直接の指導者は,その大きなうねりの中の1つであると感じます。今回の成果は,先輩達の伝統も受け継ぎながら,数年かかって醸造されたものだと思います。何事も一朝一夕には実らないというのが実感です。
 学校内では,学生玄関に巨大な優勝垂れ幕が掲げられるなど,「ロボコン」「プロコン」「デザコン」と並ぶ全国大会出場の扱いをしていただきました。しかし第1回目ということで,英語部部活動との違いなどの理解が十分ではありませんでした。手続き,引率の立案実行など,ほとんど全てを1人で行いました。「コンテスト委員会」が学内全体で対応する他の3つの全国コンテストと同じレベルに認知されるのは,さらにこれからだと思います。

5 おわりに
 学生から「5人のチームワークですよね,先生」ということばを聞いた時,驚くと同時にとても嬉しく思いました。指導者である教員と学生は立場が異なり,友達や仲間ではないので,客観的にはその言葉は正しくはありません。また学生自身が頑張ったコンテストです。5人という言葉に教員が喜ぶのは全く筋違いかもしれません。しかし嬉しく思わずにはいられなかったのです。
 最後に,全国大会がますます発展することをお祈り致します。微力ながら自分に何か貢献できることはないのかを今考えているところです。素晴らしい機会を戴き,ありがとうございました。御礼申し上げます。

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(4) 高専初年度あれこれ
                 一関工業高等専門学校   尾上 利美

 「人生どこでどうなるかわからない。」とよく言われるが、東北にある高専に勤務することになろうとは、2年前の春は全く想像もしていなかった。私にとって、東北も高専もとても遠い存在だったからである。一関高専の面接日が初めて東北に足を踏み入れた記念すべき日であるくらい、旅行にすら来たことがなかった。また、非常勤先の大学で高専からの編入生を教えた経験があるくらいで、高専についての知識はほとんどなかったと言ってよい。高専ロボコンを見て「高専では、ロボットが普通に廊下を歩いているだろう。」、高専からの編入生の話から「高専生は英語が苦手らしい。」、雪国に住んでいた恩師の話から「水道管が頻繁に破裂するほど東北の冬は厳しい。」などと勝手なイメージをふくらませて、昨年4月に一関高専に赴任した。
 先ず職場としての高専についてであるが、多様な業務と多忙さには正直驚いた。初年度は、授業、クラブ顧問、寮務委員、TOEICの課外指導、その他いくつかの部会の委員といった業務であったが、その場その場で要求される役割も異なれば仕事の内容も違う。上手な頭の切り替えと時間管理が必要で、いずれも苦手な私は、着任後ほどなくから慢性的な自転車操業である。高専教員は何でもできるタフな超人でないと務まらないと各所で言われているが、まさにその通りで、本校でも、そして昨年度のCOCET京都大会でもタフな超人の先生方にたくさんお目にかかった。多様かつ多量な仕事をこなしながら質の高い研究をし、さらに私生活も充実させていらっしゃる先生方がいるという、その事実にもまた驚いている。残念ながら、高専の廊下をうろつくロボットを見ることはないが、機械技術部の活躍の様子を見られた事、生のASHIMOに黄色い歓声をあげ手を振るという体験が出来た事などは、高専教員としての身分の享受だったと思っている。
 「僕達は高専からの編入生なんで、英語はできません。」と初回の授業後に言いに来たのは、ある大学で私が担当した元高専生の学生だった。彼らは「高専生は英語が弱いので、授業についていけるかどうか不安です。」と言ったが、授業の予習はきっちりとこなし、小テストでも確実に得点し、他の学生よりもずっと真面目に授業に臨んでいた。彼らは期末試験でも高得点をあげ、蓋を開けてみれば、成績優秀で単位を取得したのである。一年間授業をしてみて、「高専生は英語が苦手である」ということは、一関高専の学生についても当たっているように思う。しかし、先の元高専生がそうであったのように、いや、彼ら以上に、一関高専の大多数の学生は真面目に英語の授業に臨んでいるし、数としては少ないが英語が非常に良く出来る学生もいる。物理的・時間的制約、英語教員としての私の力量的制約はあるにしろ、真面目に取り組むことのできる学生の力にぜひなりたいと考えている。しかし、なかなか良い方法というのは見つからない。学生から時々、「単語が覚えられない。どうやったら短い時間でたくさん覚えられて、忘れないようにできますか。」という質問を受けるが、「そういう方法を私がもし知っていたなら、その手の本を書いて儲けて今ごろ優雅に印税生活。」と言うと、学生は「地道な努力しかないですね。」と納得し、地道な方法をいくつか提示するのが今のところ私の精一杯である。
 最後に不安だった東北での冬の生活についてだが、初雪で一夜にして車が埋まるほどの雪が降り途方に暮れ、帰宅して部屋の室温計が0℃を指しているのを見て驚き、凍結した道路で何度もひっくりかえるところを学生に目撃されるなど、色々と困ったり失敗したりもした。水道管についてだが、一関辺りでは水道管が凍ることはまずないそうで、自宅の水道管も無事だった。冬を越した今、寒さと生活様式の違いに最初は苦労したが、過ぎてしまえばそう大変なことでもなかったように思えるのが不思議である。
 大阪から東北に居を移し高専教員としての初年度は、無我夢中で走りぬけた一年であった。二年目となる今年度は、タフな超人は目指せないが、頭の切り替えと時間管理を上手くして、自転車操業からはせめて脱却したいと考えている。

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(5) Closing Address of the 1st Annual English Presentation Contest for Students in Colleges of Technology

                 KAMEYAMA Taichi, President of COCET

I am very happy and proud to be standing here as a representative of COCET.
I would like you to know that COCET is a unique academic society that consists only of the teachers of KOSEN.

No science teachers, no math teachers, nor even the teachers of each engineering subjects have ever made any meeting to concern teaching their subjects in KOSEN.

Only English teachers did it.

Now I would like to show all my respects to the 37 founders who established COCET 30 years ago. And I would like to express my gratitude to the 10 successive presidents who have sustained and promoted this organization's vitality and authority in teaching and studying English education.

However, despite the effort of those predecessors, KOSEN students have been considered not to be very good at English for a long time. And unfortunately, it still is not far from the truth.

But we know that not a few students of KOSEN have enough ability to command English. Quite a number of graduates of KOSEN have been at the forefront of their field of business and engineering. That's the truth as well.

So, such students and the teachers who knew that have long wanted to demonstrate the potential of KOSEN students. We have aspired to have an opportunity to let the world know it.

Today, one of our dreams has come true.

We wanted to see how proficiently the KOSEN students make speeches.
We did it.

We wanted to see how skillfully the KOSEN students make presentations.
We did it.

We wanted to make an arrangement for KOSEN students to communicate with each other in English. We did it.

We wanted to hold a nationwide meeting of English presentation by KOSEN students. We made it at last.

I would like to thank all the participants who made a considerable contribution to realize this memorial event.


But I still have a dream.

It is deeply rooted in the students and the teachers of KOSEN.

I have a dream that one day the students will work in the place where they will not be judged by the school of their graduation but by the content of their character.

I have a dream that my students will one day work at offices in America, factories in Europe, plants in Asia, laboratories, studios, construction sites, every place in the world, together with the people from all over the world.

I have a dream that one day every student in KOSEN will be motivated to learn, every teacher will be skilled to teach, not only English but also every other subject, and as a result, all the KOSENs will be the best school in each district.

This is our hope. This is the faith with which we launched this contest.


Please remember. Whether the next dream will come true or not is up to you.

Thank you.
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編集後記

 2008年度最初のCOCET通信は、第1回プレコン特集とさせていただきました。お寄せいただいた玉稿の数々に、新年1月のあの光景がよみがえります。
 COCETにとって永年の悲願であった大会を、ついに実現までまとめあげて下さった穴井孝義実行委員長による「これまでの経緯」、スピーチの部、プレゼンの部それぞれの優勝者(グループ)を指導なさった阿部 規子先生と太田伸子先生の「実践記録」、そしてあの日、会場を感動と興奮(と爆笑)の渦に巻き込んだ、我らが亀山会長の"I have a dream"を再掲させていただきました。
また、昨夏華々しくCOCETデビューをなさった尾上 利美先生からは、初年度の御苦労のあれこれについてレポートを頂戴しました。たいへんお忙しい中、原稿をご提供いただいた先生方に、心から感謝申し上げます。

 ここ数年のCOCETの活動を思う時、何か大きな胎動のようなものを感じます。それは、今回のプレコンの実施や、過去最多を記録したCOCET研究大会への発表申し込み数などにも反映されているように思えてなりません。
 今年の研究大会は、9月20・21日にオリンピック記念青少年総合センターで開催されます。多くの先生方とお会いすることを楽しみにお待ちしております。

 プレコンの実現にご尽力なさった、故・平岡禎一先生のご命日に、大会が大成功に終了したことを謹んでご報告いたします。
                                 (編集:武田 淳)